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サッカー指導論#1 -私のサッカー論-

目次

サッカーは楽しむもの

サッカーは、精神修行の道具でも、人格形成の手段でもない。つらいことを我慢することが目的でもない。サッカーは楽しむもの。サッカーはゲーム。楽しければ自然と子供は夢中になり、一生懸命になる。DSなどのゲームをやっている子供は寝食を惜しんでゲームに熱中する。次のステージに行けるよう努力する。それは楽しいから。サッカーはゲーム。もし夢中になっていないとしたら、それはサッカーが楽しくないから。夢中になってやること。それがサッカーが上手になる一番の近道。

サッカーはチームスポーツ

仲間を理解し、尊重し、仲間を活かす。子供の頃は、少しドリブルが上手だったり、シュートがうまかったりすると、ほとんどの状況は打開でき、チームも勝ったり出来るし、なにしろ目立つことが出来る。だから子供も個人技の練習をやりたがるし、テクニック重視のスクールも多い。勝つことが必要なクラブチームでは個人のテクニックに頼った方が勝利しやすい。短期的な視点に立てばこれは別に間違ったことではない。ただ、テクニックは上のレベルに行くと、必ず自分より上のテクニックの人間が現れる。世界は広いので、必ず現れる。その時に、個人技以外の選択肢を持っていないと、突然全く通用しない選手に急降下してしまう。そこから仲間を活かす練習をすれば良いのだけれど、なかなかテクニック重視で育ったこどもは、全体を観て、他人を理解し、他人を活かすという発想には変われない。出来る限り早い段階で、個人技に頼るクセから脱却し、仲間を活かし、様々な選択肢を自分で作り、その中から状況に合った判断を出来る子供に育てる。当校の練習は、チームとして機能するもの、仲間との関連性を持たせたもの、状況判断能力を養うものに特化する。学校や、会社に入った時、自分だけでは生きていけない。仲間を理解し、尊重し、仲間を活かすこと。
組織として機能するというのは、個性を殺して型に合わせるのではなく、個性を理解し、個性を活かし合うこと。

個人技の練習は自分でやる

サッカーは、サッカーでしか上手くならない。ドリブルの練習はドリブルが上手くなるためであって、サッカーが上手くなるわけではない。個人のテクニックは、「ボールと自分」の関係性のものであり、ボールがあれば自分一人で練習できる。わざわざ集まってするものではない。せっかく様々な個性が集まっているのに、そこで個人の練習をするのは時間がもったいない。サッカーの試合は、ボール1個に対して22人の人間がいる。1試合でボールに触っている時間は1分~2分程度。それ以外の時間何をするべきかがとても大切。その1~2分のための練習ばかりやってもサッカーは上手くならない。ボールは自分で動かないが、人間はそれぞれが複雑に動く。だから人間の動きを理解する練習がとても大切。それは集まった時にしか出来ない。
確かに、試合方式のチーム練習がほとんどである当校の練習も、足元のテクニックが伴っていた方が上手くいく。しかし、そこで上手くいかなかったことに対して適度にストレスを感じてもらうことは悪いことではない。 そういう子は自分で個人技の練習を始める。テクニックは目的ではなく手段であるということを自分で気づいて、自分で習得しようと思ったら上達も格段に早い。やらされ、詰め込まれるより、自分で必要だと感じたことを身に着けていく。当校の練習は1回1時間強しかなく、その短い時間だけでサッカーが突然上手くなるわけがない。その全体練習の中で、それ以外の時間に対する考え方を変えてもらい、持っている時間全体の中で上達してもらうことが大切。

状況判断能力を鍛える

状況判断を瞬時にするシチュエーショントレーニングに重点を置く。サッカーは攻守が目まぐるしく変わり、状況は常に変化している。レベルが上がると、周囲から指示してもらう猶予などない。そこでは、どのような選択肢を持ち、その中から最適な判断が出来るかが勝負を分ける。海外ではスポーツ選手は引退してからも尊敬され続ける。様々な状況判断を瞬時にしなければならない経験をしている特別な人たちだから。日本ではそうはいかない。引退した途端、「子供の頃からスポーツ一筋で、世間知らずで何も出来ない人」のような見られ方をする。スポーツを通して、このような状況判断トレーニングを積んでいると、その後の人生で必ず訪れる「決めなければならない場面」で抜群の判断力を発揮する。長い人生においては状況判断能力が必要な場面は幾度となく訪れ、その結果次第で全く違う人生を送ることもある。

やたら教え過ぎない

自分で考え、自分で判断し、自分で行動する選手に育ってもらいたい。大人が教えすぎることで、子供は自分で考える力が落ち、指示を待たなければ動けなくなってしまう。子供たちの試合を見に行くと、お父さんやコーチが選手に、「シュート!」とか「ドリブルで抜け!」とか「逆サイド !」とか、とにかく指示が多い。これでは自分で考えられる子には育たない。言い換えれば「個」の強い子に育たない。「個」は個人技の個と解釈している人が多いが、個の自律という意味が強い。大人の「教えたい」という気持ちは悪いことではない。でも教え過ぎるとそれは指示待ちの子供を作ってしまう可能性がある。自分で考えられなくなると、コピー& ペーストに頼るようになる。資料ひとつ自分で作れなくなり、雛形やサンプルを探すようになる。答えは与えられるものでなく自分で見つけ出すということを感じてもらうため、当校では極力答えは与えない。強烈に教えられたチームは大人のコピーが進むので、ある年代までは良い成績を残す。しかし、「教えられた子はもろい。学んだ子は強い」。その後は自ら学んだ子の方が成長が加速する。当校は教えるのではなく、学べる環境を作る。環境とは、適切な練習メニューと適切な声がけ。コーチは、自分のコピーを作るのではなく、子どもが自分で学べる最高の環境を作ることに専念する。

国際感覚を身につける

練習時に、挨拶や練習で使う用語などのスペイン語講座を実施したり、レアルマドリード戦と総合トレセンでの練習などのオリジナルマドリードツアー、全国の海外クラブ系スクールとの交流試合や大会開催など、国際的な感覚や発想を若い段階で経験してもらえるアカデミーを目指す。

周囲のサポートに感謝する

プロの選手になると、栄養士、トレーナー、マネージャー、スポンサーなど様々なサポートに支えられて初めてプレーすることが出来る。スクールに通
う子供も、食事、送迎、洗濯、用具の購入、受講料などの父兄のサポートがなければスクールに通うことは出来ない。子供の頃は、そのような父兄の様々なサポートに気付かず、感謝する機会もない。親になって初めて、自分の親のサポートに気付くほうが多い。まずはサッカーをやらせてもらえている環境に感謝し、それを支えてくれている父兄や周囲のサポートに感謝する。そのインテリジェンスがなければ、決して素晴らしい選手になることは出来ない。

まとめ

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